【大磯のお寺 東光院】湘南にある東寺真言宗の寺院

 東光院の本山であり、世界遺産にも登録されている真言宗総本山 教王護国寺の紹介
東光院の歴史 東光院の昔の地図
東寺とは

正式には「教王護国寺」といい、 平安京の正門にあたる羅城門の東西に東寺と西寺が建立されました。 823年、空海は嵯峨天皇より東寺を賜り、鎮護国家のための寺院であると同時に、 真言密教の根本道場となりました。 現代では、京都を代表する古寺の一つで、伽藍からも日本一の高さを誇る五重塔や、 講堂の立体曼荼羅、五七日御修法や伝法灌頂を行う灌頂院など、真言密教の 中核を担っていることを見て取れます。 また、羅城門も西寺もなくなってしまい、京都御所も平安京の頃とは場所が異なりますが、 東寺は平安時代より同じ場所に存在し、歴史を感じ取ることができるでしょう。

歴史

8世紀末、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」(さいじ)[5]という2つの寺院の建立が計画された。これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院であった。 南北朝時代に成立した、東寺の記録書『東宝記』によれば、東寺は平安京遷都後まもない延暦15年(796年)、藤原伊勢人という人物が造寺長官(建設工事責任者)となって建立したという。藤原伊勢人という人物については、公式の史書や系譜にはその名が見えないことから、実在を疑問視する向きもあるが、東寺では古くからこの796年を創建の年としている。それから20数年後の弘仁14年(823年)、真言宗の宗祖である弘法大師空海は、嵯峨天皇から東寺を賜った。この時から東寺は国家鎮護の寺院であるとともに、真言密教の根本道場となった。 東寺は平安後期には一時期衰退するが、鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として、皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになる。中でも空海に深く帰依したのは後白河法皇の皇女である宣陽門院(1181年 - 1252年)であった。宣陽門院は霊夢のお告げに従い、東寺に莫大な荘園を寄進した。また、「生身供」(しょうじんく、空海が今も生きているがごとく、毎朝食事を捧げる儀式)や「御影供」(みえく、毎月21日の空海の命日に供養を行う)などの儀式を創始したのも宣陽門院であった。空海(弘法大師)が今も生きているがごとく朝食を捧げる「生身供」の儀式は、21世紀の今日も毎日早朝6時から東寺の西院御影堂で行われており、善男善女が参列している。また、毎月21日の御影供の日には東寺境内に骨董市が立ち「弘法市」「弘法さん」として親しまれている。 中世以後の東寺は後宇多天皇・後醍醐天皇・足利尊氏など、多くの貴顕や為政者の援助を受けて栄えた。文明18年(1486年)の火災で主要堂塔のほとんどを失うが、豊臣家・徳川家などの援助により、金堂・五重塔などが再建されている。何度かの火災を経て、東寺には創建当時の建物は残っていないが、南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままである。

このページはウィキペディアから引用

東光院