前回と言いましても一年も前になってしまったので忘れてしまったかもしれませんが、仏教の智慧の前提として知って頂きたい四つの教義をご説明致しました。今回はそこから諸行無常という、普段中々意識しない考え方をお伝えします。
大切な物をあやまって壊してしまった時に、「形あるものは必ず壊れる」といって頭をかいたりするのは私だけでしょか?経験的に「そういうものなんだなぁ」と感じることが皆様にもあるのでは無いでしょうか。これはグラスや車などの物だけではなく、あらゆるものは生じ、そして滅するというこの世の理です。植物も動物も、私自身も皆様も、町も国もこの地球でさえそのような理の中で、生まれ、やがで消えていくということの繰り返しです。それは心や人の繋がり、物事にも言えることで、いつか変り、色あせ、うつろいでゆくのです。ですが普通それは、きっと遠い未来だと仮定して生活しています。ところがお釈迦様は「今、一瞬一瞬が変わり続けているのですよ」。諸行無常と教えてくださります。健常者と障がい者と対比のように使われる言葉がありますが、健常者が常に健常者であり続ける事はありません。誰しもが必ず車いすに乗り、年老いて更には死にゆきます。心も嬉しいかったり、悲しかったり。嬉しいしかなければ嬉しいとは感じません。常に変化し生まれては滅する、この理を仏教では生滅の法と呼び、生滅の法は苦しい事なのだと説かれます。ただこうも説きます。生滅が苦しいのではなく、私達は自身を含む物事を常なるものと考えてしまいがちです。そしてそれが苦しいのです。健康が常なるものと、愛情が常なるものと捉えることが苦を生みます。これが仏教の基本的概念である諸行無常です。
東光院新聞 2017年秋号より
関連記事