四法印について
仏教基本講座
今回から少しずつお釈迦様が説かれた仏教の教えを皆さんと学んでいきたいと思います。まず一番初めに仏教の知恵を知るための前提として四法印をお話しします。四法印とは、仏教の特徴とされる重要な4つの教義のことをいい、仏教を知るための大前提となる大切なものです。 東光院でも皆さんと共にお唱えする般若心経はまさにこの四法印の考え方を説いてるお経とも言えます。
諸行無常 (しょぎょうむじょう)
簡単に言いますとこの世の全ては、形も本質も常に変化するもので同じ状態には無いという事です。地位や名誉、人間関係や自分の肉体、知識やお財布の中身さえ、私達のまわりは変化し続けています。
諸法無我 (しょほうむが)
すべての存在には、主体とも呼べる「我」(が)がないことを言います。さきほどの諸行無常の考え方でもわかるように刻刻と変化するなかで、私というものも常に変化をします。ですから私達が私ととらえている私も、私で居続けることは出来ません。自然界では命が影響をしあい絶妙なバランスの上に成り立っているように。水が条件によって、お湯になり水蒸気になり雲になり雨になり、雪になって氷河になるようにです。
一切皆苦 (いっさいかいく)
苦とは、「思い通りにならないことによる心痛」のことをいいます。諸行無常・諸法無我を理解すれば私達に思いどおりに出来るものなどないということに気がつきます。ですが私達は「安心・安定」という言葉でこうあって欲しいと固定的にとらえます。これを仏教では〝執着〟と呼び、この執着が苦の根本原因であると説かれています。
涅槃寂静 (ねはんじゃくじょう)
煩悩という炎を吹き消して静かになった境地です。諸行無常・諸法無我を理解し受け容れることが出来れば、あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定した状態になる。これが仏教の目指す“さとり”の境地です。
要約すると
世の中のあらゆる出来事や物質は常に変化し、お互いに影響を与え合う相互関係にあります。無常であり、無我であるのに、人間はついつい物事へ不変を望み執着してしまいます。無常な世の中ですから一時的に満足する事があったとしてもいつかは思いどおりにならなくなります。真実は無我ですから自分の希望や快楽を追求しても幸福にはなりません。仏教ではこのジレンマによって苦しみや悩みが生じると説いており、その先に安らぎと幸福があると説いています。
このような基本的な考え方を学んでゆくと仏教が他のどの宗教とも違い、特異なものだと分かります。神が人の生き方を説くのではなく、物事に対しての考え方やとらえ方を提供するものが仏教です。その特徴的な様を表す話があります。
「筏の譬え」として仏教の教えを筏にたとえ、筏は川を渡るためにあるもので川を渡れば持ち歩く必要はなく捨て去ってゆくのだと説いています。そうです考え方やとらえ方を獲得したのちは仏教の教えすら執着になりえるから捨て去りなさいと説いていらっしゃいます。
東光院新聞 2016年夏号より
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